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八戸市中心街に映画館併設の複合商業施設を建設へ
1:三八上北地方さん  2026/08/01 02:58:01 ID:AC0mWo5E
八戸市中心街に映画館併設の複合商業施設を建設へ「市民みんなで作り上げるような形に」ミニシアターや20近い飲食店・ステージを備えた施設の構想発表 開業は2029年春予定


再開発予定地は八戸市六日町の旧いわとくパルコ

再開発の構想を発表したのは八戸市の建設会社・田名部組と八戸クリニック街かどミュージアムで、
再開発するのは、八戸市六日町で2025年3月に閉館した旧いわとくパルコです。
1966年に完成した いわとくパルコはホテルと商業ビルの複合施設で、最盛期は40のテナントが入り市民の憩いの場として親しまれました。


新たな複合商業施設には、ミニシアターや20近い飲食店が入る構想です。ミニシアターは、常設で客数100席程度が1つ、ステージもありイベントなどにも使える多目的を1つ予定しています。

194: 三八上北地方さん  2026/08/30 19:04:59 ID:BNSI45kM
>>193が正解
そして工事を盛岡で止めた大きな原因が青森が駅舎問題でしつこくゴネたから
北海道まで延伸する予定の新幹線を自分達の欲の為にルート変更して新町の方へ通せとゴネた
国鉄がそれは北海道へ延伸するのに遠くなるし、予算もかかると何度説明してもゴネ続けた
それで国鉄は青森迄の工事を凍結した
その煽りを喰らったのが何の不満も言ってない八戸だ
本来なら新青森発の新幹線を八戸発着に切り替えて当然のペナルティを青森へ課すべきだ
それくらい青森がしでかした迷惑行為は八戸だけでなく、北海道側も受けている
JR東日本は青森へペナルティを出せ
全便八戸発着へ変更して当然だ

195: 三八上北地方さん  2026/08/30 19:16:39 ID:Wt26RZNs
盛岡駅で工事が長期間止まった主因は、当時の国鉄の深刻な財政破綻(経営悪化)と、それに伴う政府の整備新幹線計画の一時凍結にあります(AI)

196: Delete  2026/08/30 20:37:38 ID:dkToIkGk


197: 三八上北地方さん  2026/08/30 21:03:25 ID:5RfEAIgk
どのくらい古い話に固執してんの?

198: 三八上北地方さん  2026/08/31 21:37:55 ID:VE2r6yeQ
それで、87年4月1日、JR東日本が発足して以来、
沼宮内〜八戸区間の工事再開が91年まで遅れたのは何故なのですか?

風の噂で、岩手関係者の誰かが邪魔をしているなんて話を聞いた事あるのですが、実際はどうだったのですかね?

199: 三八上北地方さん  2026/08/31 22:02:08 ID:SMdOpObA
邪魔があったとすれば青森側の関係者じゃないですかね
青森市の新町方面にルート変更させる為の時間稼ぎと思います
岩手側は八戸までのルートは決定していて建設するのみ
邪魔する理由は無いですから

200: 三八上北地方さん  2026/08/31 22:18:19 ID:rbptbuS.
新幹線八戸ルート決定は岩手県の協力あってこそよ。

201: 三八上北地方さん  2026/08/31 22:24:55 ID:rbptbuS.
九戸政実がいなかったら、蜂起していなければ又は豊臣方に勝っていれば盛岡と弘
前、青森県と岩手県の形も今とちがう地勢になって、八戸が県庁所在地みたいな形
で発展していた可能性大 とAIが予想してました。

202: 三八上北地方さん  2026/08/31 23:49:36 ID:vqWOv3r6
>199

ルート変更させるための時間稼ぎでは無さそうですよ

1986年(昭和61年)11月1日に新青森駅は奥羽本線の中間駅として設置されたが、東北新幹線の盛岡駅以北の建設遅れで地元住民の不満が高まっていたため、これを解消する狙いもあって関連事業の一環としての駅設置となった[5]。

203: 三八上北地方さん  2026/09/01 00:25:43 ID:pLhuNNMM
86年、青森側の駅は、石江地区(現・新青森駅)で決定。
87年、JR東日本発足。

90年、株価の暴落。

91年、沼宮内〜八戸区間の工事再開。


バブル真っ只中は、JR東日本発足後も工事再開されず、プラザ合意後の国内外の環境激変で浮き彫りになった経済金融や初等教育プログラムなど戦後システムの粗を見直さなかったのが仇になり、暴落すべくして暴落した(地価も連動して落ち込み)後に工事再開っしょ。更には、株価暴落後からでも国挙げて経済金融や安全保障、教育などの国家体制の抜本見直しやグローバル時代を見据えた国家戦略の見直しでもやりつつ迅速な破綻処理の流れでもつくればいいものをやらず、当然の如く、平成不況の流れをつくり、破綻規模と不良債権問題をより深刻化させたんじゃないかな。こんなんじゃ、グローバル時代の日本の国家戦略は初手誤り確定と同時に、失われた数十年も必然。

盛岡より北のはやて新幹線駅周辺と八戸の中心街は、ある意味、永田町の鈍足、欺瞞と怠慢の犠牲者だったかも知れませんね

204: 三八上北地方さん  2026/09/01 08:15:53 ID:JpLT0c2A
>202
新駅設置も新青森駅のガス抜きも報道も無関係
盛岡以北〜八戸までは謎のまだら新幹線構想により着工が遅れた
(AI参照)
東北新幹線の「盛岡以北の建設凍結」と「青森市内の新幹線駅設置(駅舎・ルート)を巡る問題」は、「駅位置を巡る地元と国鉄の対立(時間のロス)が、最悪のタイミングで政府の建設凍結決定(オイルショック・財政難)と重なり、結果として開業を20年以上遅らせる最大の要因になった」という深い因果関係があります。

1. 駅位置を巡る「3案」の対立(1974年〜)1973年に盛岡〜青森間の整備計画が決定された直後の1974年、日本国有鉄道(国鉄)から青森市内の新幹線駅の候補地として以下の3案が提示されました。青森駅併設案(地元・青森市が強く熱望)ヤード地区案(現・青い森セントラルパーク付近)石江地区案(現・新青森駅の位置)国鉄側は、新幹線をさらに北海道新幹線(青函トンネル方面)へ延伸させる線形・地盤の技術的な理由から「石江地区(新青森駅)」を推しました。しかし、当時の青森市や地元商店街は、中心街の空洞化を懸念して現在の「青森駅」への併設・乗り入れを激しく主張し、議論は平行線をたどりました。2. 対立中に訪れた「最悪のタイミング(建設凍結)」この駅舎・ルート問題を巡る地元と国鉄の話し合い(決着までに約6年を要した)の最中に、日本経済を第1次オイルショック(1973年)による不況が襲います。国鉄の巨額債務問題や国の財政難も重なり、政府は大型公共事業の抑制へと舵を切りました。ようやく地元の合意が形成され、現在地(石江地区)への設置が決まったのは1980年のことでしたが、時すでに遅く、大宮〜盛岡間が先行開業した同年の1982年、政府は閣議決定により整備新幹線(盛岡以北を含む)の建設を正式に凍結してしまいました。3. 因果関係のまとめもし1974年の段階で、国鉄の推す現・新青森駅の位置(あるいは別の案)で地元が早期に一枚岩となってルートを国に提示できていれば、オイルショックや国鉄改革による完全凍結の波に飲み込まれる前に、盛岡以南と同時に、あるいはそれほど遅れずに着工・開業できていた可能性が極めて高かったとされています。結果として、この「青森駅舎・ルート問題による時間のロス」が引き金となり、2010年12月の新青森開業まで38年もの歳月を要することになりました。

205: 三八上北地方さん  2026/09/01 08:54:18 ID:9Zb8sYLk
新青森駅は、実際には新幹線が来るずっと前の1986年に在来線駅として先行開業しています。これは、盛岡以北の建設がなかなか進まないことへの地元の不満を和らげる意味合いもありました。ただし、もっと大きかったのが「財政問題」です

206: 三八上北地方さん  2026/09/01 09:14:27 ID:Y6clklZc
仙台までの予定を盛岡まで引っ張ったのも鈴木善幸。財政問題を理由に一時中止したのも鈴木善幸。

207: 三八上北地方さん  2026/09/01 09:19:16 ID:eXMKhpts
205
既に石江に決めてた新青森駅舎を新町方面にルート変更しろと何度もゴネて、ついに盛岡以北を凍結させた青森市の商工会議所、青森市の罪は半端なく重すぎ
世界の情勢、日本の情勢、他のルート予定地の迷惑をまったく考えない我田引鉄運動でゴネて、最後はあろうことか3回目の話し合いのテーブルを恫喝同然の途中退席
これが盛岡以北の凍結を決定させた

208: 三八上北地方さん  2026/09/01 10:19:31 ID:dXsIagnQ
明治の尻内駅開業以来
鉄道という公共交通を軽視してたツケ
バブル経済以前の高度経済成長期からも
東北本線特急停車駅尻内駅前より
盲腸線の八戸線高架化を重視したり
同じ公共交通の八戸市営バス網の方に力を入れていたから
郊外に旭ヶ丘や是川、多賀台など団地造成をした
尻内、陸奥市川、北高岩や長苗代、種差、陸奥白浜など
駅前周辺を開発していたら
国鉄やJRは本八戸駅や八戸駅に駅ビルを作っていたはず
新幹線が開業しても
八戸駅前を地元資本が投資開発しないから
全国資本も尻内の発展の可能性が無いと投資しない

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