| 社長: |
まったく水産に興味がありませんでした。特に朝が早いので嫌いな業界でした。私の就職活動の昭和63年は、学生の超売り手市場で企業はたくさんの学生を欲しがり、学生は何社も内定を取りウハウハのバブリーな時代です。
関東圏で現在、東証一部上場企業の某ビール会社に行こうと思っていましたが、
唯一の八戸地区で「潰れないからいいかな??」と思い、受けたのが「八戸漁業協同組合連合会」(通称 いかの八戸ぎょれん)でした。
呑気な組合の代表選手みたいな会社でしたので、仕事半分、付き合い半分で楽しい毎日でした。 |
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特に朝は魚市場には毎日顔を出します。さば担当は各社のさば担当同士、いか担当は各社のイカ担当同士が集まり、同じ場所でセリや入札をします。ですから同じ漁連の他部署の人よりも、他社のいか担当同士のほうが仲良くなり、楽しい仲間が増えていました。
ちょうどその頃に経営難で八戸漁連に民事再生法が適用になりました。
そして職員が全員解雇になった時に働く場所がなくなり途方にくれました。
しかし励ましてくれたのは八戸の同業他社の先輩方や日本全国のお得意様、地元他社のイカ担当でした。
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(鎌田社長)
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心細かった時のあたたかい声は、大きな力になったことは今でも忘れません。
どうでもよく入った水産業界でしたが、その時期には離れられない業界になっていました。
最近、簡単に儲ける業界がもてはやされていますが、私はまったく魅力は感じません。私がやっている水産業界は面白いですから、長く続けて行きたいと思います。 |